【旧諏訪大社のひとつ】糸静断層の真上に建つ葛井神社

 現在の諏訪大社は4社で構成されていますが、かつての諏訪大社は上社13、下社13社の計26社の総称のことを「諏訪大社」と呼びました。葛井神社はその1つであり、特に重要な社のひとつです。

この神社の信仰の対象は本殿に隣接する池である。この池は諏訪七不思議の1つ“葛井の清池”と呼ばれ、今でこそ小さくなってしまっていますが、かつては今よりも池が大きく広がっていたといいます。

葛井神社のまたの名

 実は、葛井神社は「九頭井神社」とも表記されます。

まず、この神社がどのような場所にあるかというと、「水」に大きく関係する立地であることが挙げられます。

今でも神社の境内には池が残っていることからも推測できますが、この葛井神社周辺はかつて諏訪湖の水面でした。

さらに、この周辺は、霧ヶ峰や蓼科山、八ヶ岳などから四方八方から流れが集まって、合流した水が湖に流れ込んでくるポイントでもあります。

どうやら、「水」や「川」に関係がありそうだなということを紹介したうえで、その名前について、改めて掘り下げてみます。

そもそも、川が細長くうねっている様子を「蛇」や「龍」に擬態させて、神様として信仰する風習は日本に古くからあったようです。しかも、それは日本にとどまらず、世界的にみても各地でありふれていることのようです。

ここで、葛井神社のまたの名が「九頭井神社」といことを思い出してください。

9つの頭を言い換えると、8つの又があるということになります。

さらに、水や川に関係があり、それは「蛇や龍の信仰と関係がありそうだ」ということ。

「8つの又」と「蛇」…

そうです!

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」です。

葛井神社の上流に位置する「八ヶ岳」という山がありますが、その名前の由来は、「8つの峰があるから」というよりも、「たくさんの峰」という意味合いでつけられたとも言われています。

このことから考えると、「くずい」の名前は「たくさんの川」に関係する神様であることが想像できます。

以上のことから、この神社の祀る神様について、2パターン考えることができると思います。

一つ目は、たびたび氾濫して村を破壊する「河川」という「自然そのもの」への畏敬の念などから派生してきたのではないかと考えられます。

現代でもしばしば起こりますが、昔も大雨が降ると川は氾濫し、集落が水没したり、一生懸命に耕してきた農地が流されてしまったりしてしまっていたことが考えられます。

二つ目は、そうした河川災害から村を守ってくれた「人間」を祀っている。というパターン

たびたび氾濫する河川に悩まされていた人々のところに、「治水の技術」をもった人々がやってきて、川が氾濫しないようにしたり、被害を抑えるために働いてくれていたとしたら…

ということも考えることができると思います。

つまり、たびたび氾濫して暮らしを破壊する「自然そのもの」と、その災害から村の人たちを守ってくれた「治水に関係する人々」が神となったのではないか?と考えることができると思います。

火の力を鎮めるおふくろ石

この神社の御柱4本結んだ対角線の中心には、石があります。

これは、この神社の要石です。ほかの社にもあるお袋石が鎮座しています。

この神社があるのは糸魚川ー静岡構造線の真上です。境内のすぐ東側には、1000年以上前に起こったとされる大地震の時にできたという断層のずれによる段差を見ることができます。

この石は、活断層の働きを鎮めるための石といわれています。

千年ケヤキ

その、断層の上に生えているのが樹齢1000年を超えるケヤキです。

火災により燃えてしまっていますが、根元から数メートルは生き残っていて、今でもその姿を見ることができます。

御手幣送りの神事

 この神社で最も有名なイベントとして、上社の年中行事の最後となる「葛井の御手幣(みてぐら)送り」の神事があります。

 大晦日に、その年に上社で使われた幣帛や榊、柳の枝や柏の葉を取り下げて、葛井神社に運び。寅の刻に前宮御室の御燈を合図に、それらを池に投げ入れる神事です。

すると翌元日の卯の刻に遠江国の佐奈岐(さなぎ)池に浮き上がってくるといわれており、諏訪の7不思議のひとつに数えられています。

コメント

この記事へのコメントはありません。